2005年09月03日

時は流れる

 244試合。1シーズン25試合平均として、約10年だ。「元」我々の偉大なるスター、桑原ヒロヨシさんがゴールネットを揺らすまでにかかった期間である。ああ、できれば達成して欲しくなかったんだ。本当は。伝説が、消えた...
 このことは、1つの時代の終焉だ。サンフレッチェに加入して以降、常に中盤の掃除機として縦横無尽に動き続けた彼だが、幾ら頑張ったところで、チームの成績不振のはけ口の恰好の標的として、その目を覆いたくなるプレゼントパスの数々を揶揄され、常連として語られた夜の流川でのグラサン姿をサポに叱責され、ドロ臭いプレーとは真逆の微妙、否、ステキなオシャレ姿により、(ネタ系列としての)ローカルカリスマとして、同じ広島工業高校出身の新井さんと並び、多いにマニア専用の「広告塔」として利用され続けた彼だが、次々と加入してきた高いボール扱いの技術を持って新人達を何人も跳ね返し、ヤンセンやトムソンといった歴代の監督達に重宝され続けたのだ。サッカーは技術だけでは食えないのだ、ということを、多くのサッカー観戦素人達の心に刷り込んだのが、彼なのだ。
 そんな彼がレギュラーの座から陥落していったのが、あの2部時代である。サンパイオ、森崎和幸の双璧ボランチによる盤石体制により、その姿はベンチで見掛けるばかりとなってしまい、シーズン終了後、極一部のサポの悲しみを背に、ひっそりと去っていったのである。思えばこの頃からサンフレッチェのサッカーは小野監督のもと、再構築されていったのだ。久保という1点豪華主義的サッカーからの脱皮。総合力で勝つサッカーへの転換。まさにこれまでのサンフレッチェのサッカー史における、1つの分水嶺といっても過言ではない。しかし、その前期の中心を担った彼をここで改めて賞賛すべきであろう。この賞賛を言葉で表すならば、まさにその区切りを、サンフ黎明期の黄金メンバー時代を含め、「桑原以前」「桑原の時代」「桑原以後」と表現することとする。ここまで真面目に読んだあなた、ご苦労であった。
 
 彼のJ人生が完全燃焼するまで、こっそり見守ろう。

 追伸:久々にあの名スレを読み返したくなってきた。今焼肉といえば双子だが、当時は焼肉=皆本(県工出)だったのだ。




posted by matsu at 01:07| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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